その23-2 宝暦十三年(1763)『四国■禮絵図』では「イワブチ満願寺」へ行く道筋が三本描いて有ります。カシワ・カミハタチ・イワマツからイワブチに出る旧宿毛街道(なだ道)、次に山中のガントウ(岩道)を通る道、そして篠山越えてマキカワ・ミウチ番所・サンサイ(山財)、満願寺に至る道です。道筋としては三本ですが、中には篠山を打ち戻り観自在寺に向かった遍路さんもいました。 現在では篠山に車道も開けていますが、篠山越えで遍路する人は稀です。ところがこの道筋に徳右衛門の町石が残っていると言うことは近世後期にはまだここの往来が少なからずあったことを教えてくれます。しかし他の遍路道と比べて標石の少ないことは否めません。昭和九年発行の『同行二人 四国遍路たより』(安達忠一)では御篠道は打ち戻りの道筋しか紹介してありません。 ここで明治四十三年『四國霊場八十八ヶ所 遍路獨案内』此村庄助を引用しておきます。小本ですが「道しるべ」記事が詳しいものです。煩雑になりますが篠山道に関して珍しい記事だと思います。
篠山に関しては以上の通りです。村名の用字など問題がありますが、一応篠山越え道を紹介してあります。すでに「岩道」はありません。代りに汽船便の案内が出ています。 篠山を越えて馬の淵と言う場所に徳右衛門の町石があります。 江戸時代の絵図より 馬の淵の徳右衛門の町石 |