徳右衛門丁石の話
善通寺紀要 第15号より



 一 墓碑銘

 生年は不明。伊予国越智郡朝倉村水ノ上にある墓であるが、大師座像の下に夫婦の戒名が刻んである。《観月道清居士》、文化十一戌十二月十九日没。

此信心ノ翁、自寛政六寅歳企四国丁石、
干時高祖大師ノ得深情唯自求幾千ノ施主、
正ニ文化四丁卯年、満諸願也

 寛政六(一七九四)年より文化四(一八〇七)年にかけて、「四国丁石」の建立をしたと言うのである。実際には死の間際にまでこの事業に携わっていたようで、文化十一年十月の刻字のある石も見つかっている。※他にも文化九年、同五年のものもある(いずれも土佐路)。
 これから取り敢えずは現存確認の石(徳右衛門は、丁石・道丁石と称している)から、寛政六年に始めるより先に故郷伊予国越智郡内の札所寺院で初めていたような節もあるのであるが、先ずは阿波国にある石から見ていこう。



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