茂兵衛の添句標石
〜同行新聞 昭和59年6月11日 第219号より〜


 茂兵衛の添句標石 <その9−2>


百度目為供養の句碑歌 明治二十一年

吹風も 清し蓮乃 花の寺臼杵陶庵 仏木寺門前
うまれ来 能古留茂のこるもの登天 石はか里 我身ハ消へし 無可志な里
世の中 神も佛も 奈きもの
まれ尓志ん寿る 人尓楚阿連ぞあれ
 松山市鴨川橋袂
阿撫可し 今世に迷ふ ひとゝ越
盤須奈流石に 道しる遍けり
 太山寺一の門の脇
法の花 咲く道ゝの 匂ひ臼杵□□ 本山寺の近く
花の香や いと奥婦可支ふかき 法の道 □□
四国路 八十八乃 御佛茂 天下可四海の 五穀成就

百二十一度目 明治二十四年

真如乃月 かゝや久や 法の道 冷善 金倉寺門前

百四十度目 明治二十八年

つる多ちし あとへ往天徒てつむ 若菜可那 吉備・津太嶋  出釈迦寺の手前

百四十七度目 明治二十九年

旅うれし 只ひとすじ 法の道  雲辺寺境内

百七十九度目 明治三十三年

旅う禮し 太ヽ一寿じ尓 法の道  61番〜62番

百八十四度目 明治三十四年

三つの角 うれしき毛之者ものは 道越しへ  椿堂の東
以登嬉し まよひもとけ 法能みち  南予内海村

百九十一度目 明治三十五年

山を踏みて うれしき毛の者 道しるべ  42番〜43番

百九十ニ度目 明治三十五年

煩悩の 暗を破りて ふ能月  金倉寺門前

二百三十七度目 明治四十三年

花の香や いと奥ふかき 法の聲  延光寺手前

二百三十八度目 明治四十四年

迷ふ身を 教へて通 法の道  59番〜60番

二百四十一度目 明治四十四年

まよふ身を 教へて通寿 法の道 義教  73番〜74番

二百四十六度目 大正元年

まよふ身を 教へて通須 法の道  伊予北条市

(明治四十五年)

鶯や ほう法けきょの 法の道  40番〜41番

二百四十七度目 大正ニ年

その心 唯一すじに 法のみち  53番〜54番

二百五十四度目 大正三年

生まれきて 残るものとて 石はか里
わが身は消へ 昔那り希梨けり 義教
 59番〜60番

二百五十六度目 大正三年

旅うれし たゝ一すじに 法の道  土佐

二百五十八度目 大正四年

山中で うれしきものは 道し恵  伊予北条市
旅う連し 唯ゝ一筋に 法の道  延命寺参道

二百五十九度目 大正四年

ま与ふ身を おしえて通須 法の道  伊予今治市

二百六十五度目 大正五年

旅もれし 唯一すじに 法の道  土佐寺山口

二百七十一度目 大正七年

迷ふ身越 教へ天通す 法の道  26番〜27番


(了)



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