近ごろは大仰に『世界文化遺産』と云う言葉が叫ばれています。人工物もですが、天然自然の造形に窺われる摂理にこそ、より感動させるものがあります。しかしここでは実に些細な道端の石造物を取り上げてみました。つまり「街道の文化遺産」と言って良いでしょうか。ジャンルとしては庶民信仰・祭の習俗といったことに当たるものでしょうか?古文書学習の友としても格好のものなのです。以下旧稿(平成12年、新居浜生涯学習大学、悠游たより)。 【悠游たより】 分かりますか?! 司馬遼太郎が歩いた街道、また坂本龍馬の通った道筋それぞれに歴史的意義があるのでしょう。左程大袈裟なことではありませんが、名もない市内の小道にも一寸した宝物が眠っています。 黙って佇(たたず)んでいると言った方が正確な表現でしょうか。旧こんぴら街道を少しばかり(四、五メートル)北に入った地点に写真の石が立っています。 この石は何でしょうか?何と呼ぶのでしょうか。立石・柱石・杭石…幟り立ての石柱です。一年の内、祭礼の期間に活躍する石です。石柱上下の穴は、その幟り杭を固定するためのものです。 用途は分かりましたが、次には刻字が問題です。何と彫ってあるのでしょう? 「太」は、太郎の「た」です。次の字はとばして、三字目は万の字の旧字体。「都」は京都の「と」、「流」は流転の「る」です。 た・□・まん・と・る・・・ 万の字は「万起子」の名前のように「ま」です。そして「都」はこの場合「つ」。そうすれば『た・□・ま・つ・る』となります。 □の字、古文書を少しやった人なら簡単と思います。雨の字のようにも見えますが、これは「而(しかして)」の字です。カナ読みとしては「て」です。 結局「たてまつる」と読めます。漢字にすれば「奉」の一字でしょう。どうした理由でか、幕末から明治にかけて「奉」の代わりにこのように漢字のカナ読みで「たてまつる」と表記する風潮が起こっています。些細なことなのですが、このことは石造物研究上全国的に見ても珍しい現象なのです。 |