『捨て往来』一札のこと ~同行新聞 昭和61年9月1日 第292号より~

 その2

  〇何を捨テるのか?

 「捨テ往来」とありますが、一体全体何を捨テるのでしょうか。

 文中では「万一病死」の時に「御附届け」の不要、それゆえに捨て往来の用語が続いてあります。
 どうやら「死の報告ー死亡届」が不要であることを「捨テ往来」と称しているようです。そうとすれば、現在の戸籍に照し合わせて考えるなら「戸籍不要」―抹消といった状況も考えられます。
 あるいは、単純に「往来證文一札」を捨てて構わないということでしょうか。
 いずれにしろ公文書においてこのような「捨てる」という用語があるのは残酷無慈悲なことです。
 たとえ当時の通念として不治の病にかかっていたとしても、余りにも個人の存在を安易に否定していることはいなめません。
 恐らくは幕府の通達か、もしくは担当者(旦那寺の僧侶や庄屋)の自覚によってこの「捨テ」という用語が公文書では使用されなくなったのではないでしょうか。
 いずれにしろ、現代にまでこの用語「捨テ往来」は使用されて来たのは事実です。

  〇

 覚

一、男壱人

阿州名東郡津田浦 湊虎市
右は此般四国霊場拝礼にまかり越し候。
彼者代々真言宗にて則ち当寺檀那に紛れ(無く)御座候条、
御番所相違なく御通し仰せ附けらるべく候。
若し行き暮れ候えば、一宿相願い申し上げ候。
万一病死など仕つり候節は国元へ御届けに及ばず、
其処の御作法次第に御取埋仰せ付けらるべく、
依而後日の為、寺請證状一札件のごとし。

 阿州名東郡津田浦
海潮山観音寺
明治五壬申年三月五日
国々御番所
処々御役人衆中

  〇

 これは明治五年の手形ですが、まだ江戸時代の通りの書式となっています。太字にしたように、本文では「寺請證状」といっていますが、問題なのは、この手形につけられた説明文です。
 途中万一病死することがあっても、遍路の国元へ届けるに及ばず、そこの慣習にしたがって、この男を埋葬してほしいことまでも書きそえてあります。

「捨て往来手形」
―『巡礼の社会学』前田卓著口絵、昭和47年発行―

 本文にはなくとも、こうした徃来手形を「捨て往来の手形」と称していたことがわかると思います。 


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