その1 本紙273号”遍路死一件”のカットに使用したのには「往来手形之事」とありました。今回のは時代が少し古く(安永五年・1776年)「往来證文之事」と題してあります。 一般には徃来手形と称していますが、時代や地方により多少のバリエイション(異型)もあったようです。 取敢へずカットの文を読んでみましょう。一応読み易いように書き下してみました。 〇 往来證文之事 一、此勝蔵と申す者、安芸国三好十日市之 ものに而御座候。此度四国遍路にまかり出で申し候。 国々御関所相違なく御通し下さるべく候。 万一行き暮れ申し候はば宿など仰せ付けられ下さるべく候。 尚又、何国にて病死仕つり候はば、御世話乍らその 御所の御作法にて御葬むり下さるべく候。此方へ 御附け届け及び申さず候。仍而捨て往来一札 斯の如くに御座候、以上。 安芸国三好十日市、庄屋 安永五丙申年 庄助 六月廿五日 国々御番所 御奉行衆中様 宿々 御庄屋中様 〇 この手形(證文)の特徴として気付くことは、旦那寺の名がないことです。つまり「寺請け」「宗旨」の手形證文となっていないことです。 住所の三好というのは現在広島市北方の、三次市のことでしょう。 四国遍路に出たことは分かりますが、その理由がわかりません。他の文例では「心願」とか「宿願」の用語がよく使用してあります。 この勝蔵さんの場合は、恐らく不治の病いゆえに四国へ旅出たものと推測されます。 《死出の旅路》だったのでしょう。 さてここで「旅手形」についての一文を紹介しましょう。
この引用文中の言わんとすることは、いわゆる「捨往来手形」というものが本当にあるのかどうか疑わしいということでしょう。 実際の所、カット例のように「捨テ往来」の語のある手形は珍らしいと思います。 |