先徳の御阿礼(八)
〜同行新聞 昭和55年6月1日 第87号より〜



 〜こけむす いわお〜

 となえたてまつる高祖弘法大師 第一番の御詠歌に

有難や 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おわしますなる

という歌がある。ここにある岩かげというのは、高野山奥の院にある、御霊窟をさすものとおもわれる。延喜年中に観賢僧正(高野山々主第六世・聖宝理源師の弟子)が開かれた御廟で、別名禅定が洞ともいい、古歌には巌の室、苔の室とも詠まれている。

前大僧正公朝  入月の 朝日まつこそ 遥なれ たかのヽ奥の 苔のほらにて

三位 俊成   君が代は 高野の山の 岩の室 あけん朝の 法にあふまで

中納言 定家  君が代は たかのヽ山に すむ月の まつらん空に 光そふまで

大納言 光弘  むすびをく えにしくちめや 高野山 其暁を まつの下露

右四首、いづれも我が弘法大師を讃ずる和歌である。読者承知の如く

たかのやま むすぶいおりに そでくちて こけのしたにぞ ありあけのつき

と、お大師様自から、延喜の帝の御夢に詠じられた歌もある。

 さてお気付きのように、ここに引用している歌は、いずれもお大師様の徳を慕ふ、歌作者の心情を吐露したものであるが、そこに発露された言葉にも、おのづからに、お大師様の徳の輝やきを読みとって表現しているようにおもわれる。
 大師即不動也。
 御影図中右手の五鈷は不動の利剣。左手の数珠は不動のけん索に相応している。そして大盤石の坐こそ奥の院の岩かげに見出すべきではなかろうか。一本によればお大師様の御影の姿は金剛薩とのことであるが、今は一応不動になぞらえてみているのである。
 たしかに、お大師様の御姿も一つの重要な公案であるにはちがいない。ところで急転直下〈日本は岩也〉ということに筆をすすめて行こう。


君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

万人承知、日本国の国歌であるが、この歌こそ、ほかならぬ岩の徳をふまえてうたった、我が国の真実の姿をよんだものであろう。ここに先程引用の大師讃歌と用語の共通性のみならず、いづれも、こけむすいわおに感応している我々の心情に注目している次第。不動明王の信仰はこうした我が国民の心情にささえられているのではなかろうか。利剣やけん索は、岩と人間との対話(接触)に於て発生したものであろうか。とにかくも岩よりのミアレとして不動明王を眺めているのである。

 岩清水ということばがあるように、岩より水の生じることはよく知られているが、岩から火が出ることは案外と知られていないようだ。火山活動とは又別の姿として岩が火を生じることである。
 不動明王の場合も、火が先であるのか、不動明王の像が先であるのか。
 〈火〉とは何か。火は神の示現に伴ふ。神の守護的臨在。その栄光。また罪に対する怒の象徴云々。〜聖書大辞典〜
 ここで聖書、出エジプト記三−二をみると、

ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた…
しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。

ここに表現されている、神の山ホレブでモーゼの前に現れた〈火〉も、どうも不動明王背後の火炎と一致する処が多いようだ。ただ、神の示現に伴ふものの、神より発するものか、あるいは発する処(岩・しばの中)に火が出て、次に神(明王)の出現とあいなるものであろうか。



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