南天龍宮城(9)


【本尊問題から】

 何故小生がこの歳になってインドへ赴くことになったか。岡山の「I布子」さんの尽力にあずかってのことである。昨年末(2009年)に佐々井師の帰郷日本行脚の写真集を送呈して頂いたのが始まり。さして心は動かなかったのであるが。
 ところが年を越して三月二十三日。「I布子」さんが「I修氏」と同行寄堂、結局宿(シュク)することになる。食事中の談半ば、偶々(タマタマ)南天竜樹菩薩大寺の本尊問題の話題になる。佐々井師は阿弥陀さんと云っておられるのだが…これを耳にして小生は覚鑁上人の『五輪九字明秘密釈』のことをすぐさま思い出したのである。
 早速に該本を取り出して、末辞の霊示やら、また毘彌両観凡聖無二などのコトバを確認したのである。
 後日思いついたのが「弥陀・釈迦・龍樹」の三尊仏のことである。その翌日には前記三尊仏にアンベードカルと秀嶺両師を加えた五尊仏の立体曼陀羅構想である。I布子さんの慫慂も有ったりして想をねったのであるが、結局カット図の如きものができあがったのである。まさかこの期に及んでこんなものが創建中の寺に出来るわけはないのであるが、結果今となっては似たような考えが伏流している様におもわれるのである。


五尊曼陀羅―開顕弥陀三尊仏

 I布子さんからI修氏に小生の考え=〔三尊仏=五尊仏曼陀羅構想〕は佐々井師に伝わり、一応話は聞きとられた様子。小生インド行きの要件としては、何故本尊に阿弥陀さんを選んだのか?秀嶺師の答え(本意)が知りたかったのである。
 これについては確か、竜樹菩薩の教えに鑑みたら本尊は阿弥陀さんが良いと思ったと云った返事であった。
 しかし小生に於いては、ここには佐々井師の属する(縁深き)新義真言宗々祖・覚鑁上人の意向が強く感じられるのである。小生40年前の信仰履歴からの、身勝手な手前味噌的な妄想、と云ったものであろうか?
 否!絶対なる宿命的な、人智を超えた神霊の意志が発露されたのである。と、考えられるのである。これは人々各自の胸の内が開かれなければ分からないであろう。彼の南天鉄塔が龍樹菩薩によって開示され東伝、我が真言密教は日本に落ち着いて醸成されて来たのではない乎?!H23,4,30追補



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