【秀嶺師の龍種族観】 小生既述の「龍神恋慕」には〈南天の〉龍宮城については語っていないように思う。ところが昨年12月I女史より送呈された本、『破天』山際素男著には次のように云っている。 「我は竜樹なり。汝速やかに南天龍宮城へ行け。汝の法城は我が法城。我が法城は汝の法城なり。南天鉄塔もまたそこに在り」 これは佐々井秀嶺師がインドから日本へ帰ろうとした時に引きとめられたコトバなのである。自身《召喚》と称しておられる。当所この言葉を読んだ時にはそれほども心が突き動かされたわけではなかった。 ところが本年4月になってさらに追送呈された、アンベードカル『ブッダとそのダンマ』に驚いた。本文にではなく、秀嶺師の「再刊によせて」の記事にである。該当箇所2頁分は長くなるので、小生なりの引用をアジテイション並みに紹介しておこう。
これらによって小生インド行きの想いが募ったのである。そこに至るには二重のみか多重不可思議な仕組みがあって、兎に角も五月上旬に南天に赴くことになった。 なお「南」天=南天竺、というものの、古代釈尊活躍の北インドからの呼称であって現今の地図上ではインド(逆三角形状中央部)のド真ん中に当たる。 往復5日間、〔5月9日関空〜ナグプール〜関空5月14日〕で南天(ナグプール)滞在は三日間であった。そこで目にしたものは? 讃岐富士 関空行きバスより |