こんぴら里程石の味 ~同行新聞 昭和62年4月11日 第313号~

 その1

 こんぴら舟々 御池にはまって シュラシュシュシュ…

 おなじみの「金毘羅大権現」さんですが、かってはこの歌の様に瀬戸内海を往来する船に乗って参詣していました。
 しかし昨今は瀬戸内海の架橋工事も一段と進み、はや来年には本四架橋が開通するという御時世です。
 はや十年以上も前から、四国への架橋後、四国四県は一体全体どのように変化するのだろうかと模索されてきました。
 それが、もはや現実の事となります。現在本土側からの遍路さんは、ほとんどの人々が船のお世話になっておられます。
 稀に航空便を利用される方もありますが、大勢は船を利用しなければなりませんでした。

 「架橋後」の観光地として、また訪問地として、どのように人々が殺到するものでしょうか。
 これは一つの見物です。霊場でもこの応戦体制にテンヤワンヤの処もあるやにききます。
 差しずめ66番雲辺寺の北側ルート、ロープウェイの開設などは時宜を得たものでしょうか。少しずつ戦後盛んになってきた「自動車遍路」の動向にも変化が見えてきたという所でしょうか。


 さて、四国は何といっても「こんぴらさん」。他にも「いしづちさん」がありますが、「しこくへんろ」に匹敵するものとしては、やはり「こんぴらさん」を一番にあげるべきでしょうか。
 カットはその「こんぴらさん」への道標石の拓本です。地上部五尺五寸程の標石です。

 この標石の建っている場所は「ことひら大門」より十七里の処です。現在の愛媛県西条市飯岡という所です。
 旧道沿いの場所ですが、現在でも「六地蔵」と「弘法大師」の小堂があり、かっては遍路さんへの接待でにぎわったそうです。
 最近の遍路さんはこうした道標石のある旧道は知るすべもなく、新道(国道十一号線)を東へ(六十五番三角寺へ)とサーと通過してゆきます。


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