遍路と原爆(三)



 すぐに思いついたのはドーム東側西蓮寺のお不動さんだ。西蓮寺は浄土宗のお寺であるが、そこにはお不動さんも祀られていたのである。原爆投下の真下におられたお不動さんなのである。

 果たして平山画伯はこのこと、つまり原爆投下の下に待ち受けていたお不動さんを知っていたのか如何か?「関係無い」ことであろうか?昨年か、一昨年前に来新された平山先輩に話を伺う機会は無かった。残念がることでも無いが、いくつもいくつも流れ去るアンダーな事柄もあるのだと留保しておこう。それほどの緊急性を感じていないからであろうか?

 先輩に物申すことは畏れ多いこと以上に原爆について語ることは畏怖の念?か、慎みを必要とするのではなかろうかとの想いもある。しかし「事実」の語り部として、言っておきたいことがある。余りにも強く太く小生の身に纏いついているからである。

 画伯は、悲惨な歴史的事実を胸に刻みながら、新しい日本を作るのが私達生き残った者の使命…よみがえった広島の姿を、この絵で不動尊に託しました、と話したそうだ。

 不動尊は全国各所に大勢陣取っておられるのだが、ここには画伯の体験から希望的聖者としてのお不動さんを描かれたと想われるのである。それは観音さまでも阿弥陀様でも地蔵様でもなかった。画伯の仏教体験の発露であったわけである。現代文明を正面からジット睨んで描き出したものであったと言えよう。



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