本誌206号(昭和59年1月11日付)の二面、「四国へじを歩くー弘化五年の納経帳」(坂東章氏)の記事中に、土佐十七ケ処遥拝所のことが出てきます。 土佐の札所は、24番最御崎寺から39番延光寺までで16ヶ寺なのに、17ヶ処というのは奇妙です。 そして、この「遥拝所」なるものが何処にあったかというのも問題です。 206号で坂東氏が、 記入の日づけから推測すると、 薬王寺境内あるいは日和佐町内にあったと考えられる… と述べておられます。筆者もやはり薬王寺境内にあったのではないかと思います。つまり、薬王寺の納経所が、土州十七ヶ処遥拝所の納経を兼ていたということです。 カットの納経帳を見て下さい。幕末期(安政?)の納経帳です。 四国第廿三番 奉納経 除厄薬師如来寶前 阿陽醫王山薬王寺 三月十二日 ・・・・・・・・・・・・・ 奉納 土州十七ヶ所 三月十二日 遥拝處 この左右ページの日付の筆字が同一のものと思われ、それで同一所での納経と推測した次第です。まだまだ他の例も照合してみないといけませんが、まず間違いないでしょう。 薬王寺の方には、大きな菊紋の印と角印(無量寿院ー薬王寺の院号)が押してあり、向って左頁遥拝所の方には、小さい菊紋印と角印があります。残念ながらこちらの角印は刻字が読み取れません。坂東氏の紹介されている納経帳の方にも同様な印がやはり同じように斜め(ひし形)に押してあります。 |