H24.12.6 続・辺路札【丹波・榮講】 今回も3枚。内中の一枚は既成札。大師座像、神社仏閣参りを標榜したものである。四国88カ所と限定していない。住所氏名なども書き込んでない。まあ大師信仰の札には間違いが無い。 次に左右の二枚であるが、これの特徴は講中の札であり、梅鉢紋があることであろう。紋様は簡素なもので特別な呼称は分からない。ただ「梅鉢の紋」とだけ言っておこう。講名は「榮講」。丹波が拠点であった。 向って左の札。こちらも講員用の札である。地名、同行人数、氏名は書き込むようになっている。先の札同様丹波の人である。やはり榮講は丹波を拠点としていたようだ。 実はこの榮講の連中は中務茂兵衛との交流も有ったようで、彼らが施主となった茂兵衛標石も見つかっている。この道標石にも梅鉢紋が刻んであった。 善通寺市碑殿。中務茂兵衛「壱百五十七度目供養」、施主は丹波国何鹿郡綾部町の十九名。ここには榮講の言葉はないが、梅鉢紋様で分かる。 |