廿一ケ所参りのこと ~同行新聞 昭和62年3月1日 第309号~

 その1

 この「廿一ケ所」参りは今治地方特有の信仰です。讃岐東部(志度寺・長尾寺辺り)でも廿一ケ所参りがあったそうですが、この今治のお参りは、俗に「一ヶ所参り」と称され、日々に多数の人がお参りされています。
 殊に旧正月五日は年の始めとして巡拝の人も特別に多く出られるようです。


 〇武田徳右衛門

 この廿一ヶ所の開創については、この徳右衛門さんの尽力によって文化七年(1810)にされたそうです(朝倉村誌・下)。
 そして現在もなお参詣の日は旧暦の定められた日となっています。
 本誌278号「納め札は語る・15」に紹介してある日付「御参詣日」というのがこれです。

 徳右衛門さんは寛政六年より文化四年(乃至文化九年)にかけて、四国中に里程道標石を建立した方です。
 そしてその完成の記念として、五十九番札所国分寺に次のような大師像を建立しておられます。


 もちろん座像のお大師様ですが、その台石正面には、

文化九年申九月

奉供養四国八十八箇所道丁石

水の上京上

願主武田徳右衛門

 徳右衛門さん自身は、自分の建立していった遍路の為の標石を『道丁石(どうちょうせき)』と称しています。つまり文化九年に「道丁石」の設置を完成したので、その供養にこの大師像を建立されたようです。
 墓碑には文化四年に「四国丁石」建立の満願成就したことを誌していますが、何がしかの事情で、この文化九年にも丁石を建立することになったようです。

 さて本稿では廿一ヶ所参りの事を誌していますが、この台石の側面に、実は先程の「参詣日」が刻してあります。

弘法大師様参詣日御茶湯日

と題して次に、

正月五日 千日向

十六日 六千日向

と各月の良き日を並べてあります。
 この内容はやはり278号で紹介した日付(向・当日)と同一のようです。

 いずれにしろこの国分寺(本堂へ向って左手前)にある小祀は、武田徳右衛門さんが道丁石建立成就の記念と共に、廿一ヶ所参拝の日付を誌したものとして貴重な存在と思います。

 筆者は昨年(旧十月十五日)に今治・放光院の松本祐信先達のグループと同行巡拝させていただきましたが、やはり多くのお年寄りが自転車や、或いは徒歩等でお参りしておられるのを目にして、今なお続く、一ヶ所参りの信仰におどろきました。
 徳右衛門さんの徳力のおかげというものでしょう。

 なお廿一ヶ所参りの人々は、国分寺では先にこの徳右衛門さんのお大師像に参り、次に本堂諸堂を拝するということでした。
 四国辺路の方々は、どうか本堂大師堂順拝のあとでも結構ですから、この徳右衛門さんの大師堂にもお参りされて、四国路に捧げられた報恩謝徳の精神を味わって下さい。


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