徳右衛門丁石の話

 その8


 前回には仙龍寺と仏海上人のことが出てきましたが、これらについては別の機会に述べることにして、取り敢えずは徳右衛門丁石に関して考えてゆきます。「阿波徳島大師講」「坂東氏」が徳右衛門の活動に深く関わったことは解るのですが、その正体が問題です。阿波の郷土史研究に見当たらないからです。

 このことに関連して果敢に追及探索に没頭された人に福井宣夫氏がおられます。昭和五十九年、弘法大師御入定千百五十年記念『四国遍路、道しるべ―付・茂兵衛日記』を小生が出版したとき以来からの知友として付き合って頂いています。平成四年(三年?)ころ突然に新居浜に訪問して来られた時には九十歳間近で老齢でしたが、極めてお元気でした。その後平成九年に『四国中千躰大師―照蓮を探せ―』を出版、小生も大いに協力させて貰ったのも懐かしい思い出です。さてこの時にどうしても 徳島大師講について考えざるを得なくなったのです。

 というのは照蓮の四国中千躰大師標石設置を強力に推進したのがこの徳島大師講中なのであるからです。それは聖心とか高田屋嘉兵衛なども登場してくる時代状況の遍路世界なのであったようなのです。最近高田屋嘉兵衛が道後温泉にロシア犬をお供に湯治に来たという記事が発表されていました。

 さて照蓮と聖心は土佐五代山北大島にある標石(文化九年立ル)によって分かります。この時の世話人が「徳嶋講中」です。そして嘉兵衛と聖心は現在三十七番岩本寺境内に立っている標石(文化十一年)によって理解できます。徳右衛門と徳嶋大師講との関係は六十五番三角寺本堂前に立ててある丁石と、二十三番平等寺入り口に立っていた丁石(薬王寺迄五里)に、(徳嶋佐古町)大師講中坂東氏と有ります。これらによって徳右衛門と徳嶋大師講中の密接な関係が知られているわけです。

 以上の関係については、四国辺路研究第11号、24号「へんろ石物語」、『四国中千躰大師―照蓮を探せ―』福井宣夫などを参照して考えて見てください。まだまだ謎解きが残っています。


照蓮千躰大師標石、「世話人徳嶋講中」


徳右衛門「薬王寺迄五里、施主徳嶋佐古町、大師講中…坂東氏…」


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