徳右衛門丁石の話

 その36


 好きで一緒に成った女房であるが…

 「人は石垣、人は城」と、これは確か武田信玄の言葉。伊予朝倉武田徳右衛門は確かな末孫。朝青竜がジンギスカンを語るのに負けない確実な伝承である。しかしこうしたことはいずれDNAの調査でハッキリしてくるのであるが、それよりも四国に捧げた(残された)実績である。俄か芸者の如く、否職業上関わらねばならぬ人たちも少なからずいたのであるが…。

 日々四国遍路に従事している人たちの息吹きこそ「なりませる」神々の御業とみそなわせねばならぬのであろうか?

 ソモサン!、タダヨモ!と粋がってもたいしたことはない。現在の交通標識と比してどれだけの価値がミチシルベ石にあるのであろうか?人間一人の存在理由―レーゾンデテール―もであるが、何故そこに其石があるのか、それが問題だ。

 What is what?  何が何やら分からない麻生政権ですが?頑張ってますかー!

 とにかく地道な標石設置の事業は、これは世界で珍しい日本文化の精髄と考えられないであろうか、というのが小生の寝言であるのですが…サテサテ。



徳右衛門石を茂兵衛が再利用



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