徳右衛門丁石の話

 その35


 前回は三十五基目の真念標石について少し述べたのであるが、ナント!今年は三十六基目を拝観することができた。詳細は『四国辺路研究』28号に譲るが、300年前の二百基余がますます現実味を帯びてきた。その刻字は特異なものではなかったが「改刻」ということによって「へんろ道の変遷」について語ってくれるものであった。昨年未知の方よりメールを頂き早速正月三日に調査始めで駆け付けたものである。

 同じく徳右衛門石も未見のものであった。上部破損…。

 当日は新居浜に来て以来早くから目をかけて頂いたT氏が死去との報に帰路を急かされて慌てたものか、刻字のメモをどこかに迷い込ませたものか?写真はフイルムに入っているはずだが、マアまたその内に出てくることであろう。

 徳石は土佐「あしずり迄十二里」石で、これはこれまでの諸書にも未発表のものであったが、いずれ来年には高知県での本格的な調査報告書が出る筈。

 しかし未だに新規発見の真念・徳右衛門の標石が続いて出てくると言うことは、やはりまだまだ多くの標石が眠っているということである。へんろ新聞拙稿「へんろ石は語る―中務茂兵衛の歩いた道」でも触れたように、工事などで埋没する石がある一方、新奇出顕のものもある。しかし忌むべきは人為による盗難紛失また損壊毀損であろう。



真念三十六基目


…より…迄十二里



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