徳右衛門丁石の話

 その33


 小生在住地に一番近い徳右衛門町石は「三角寺迄六里」石であったが、次に近いのは「五里」石。これは新居郡から宇摩郡に入った関ノ原側にあったようだ。現在行方不明である。昭和五十九年に拙著『四国遍路 道しるべー付・茂兵衛日記』出版に際して知人よりその五里石の写真を貰って掲載している。現在の処、その写真は不明。

 次に四里石は宇摩郡土居町(現在は四国中央市)北野にブロック塀の中に納まっている。平成十年ころ県の生涯学習センターの調査時にかしら、担当の井原先生が確認したものである。そこは小生らも何度か通行しているのだが少しカーブがかった場所で見逃していたものである。讃岐で渡瀬氏が生垣に埋め込んであった道標石が珍しいとかの話しを廿数年前にしていたように思う。松山の太山寺近くにもたしかそのような場所があった。併しチョットした膨らみのカーブ故に見逃していたものだ。

 真念標石と違って徳右衛門の丁石は大きなものであるのにこんなことである。時しも讃岐の松川氏より電話。真念三十五基目が出来(しゅったい)の由。明日は早速に現地に赴かなけらばならない。忙しい年末である。



宇摩郡関の戸、三角寺迄五里


三角寺迄四里



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