徳右衛門丁石の話

 その30


 先日久しぶりに土佐の仏海庵に参った。痛んでいた庫裏は撤去されて新しく今様の家が建て直されていた。仏海上人が土中入定した宝篋印塔の方は、繁茂していた古木が切り払われて幾分明るくなっていた。二代目の上人像はまだ苔付いておらず、若々しい。

 さてここの堂前に立っている徳右衛門町石は「是より 東寺迄 五里」とある。施主は阿波牟岐浦の人二名。一人は読み取れないのだが、今一人は「久兵衛」さんである。岡村氏の調査では厳密に□□とあるのみである。古い話になるが小生の勝手な読み間違えであろうか。

 ここ最近に国道端に引っ張り出された東寺迄「四里」石。小生は「○○郡○川郷 伊世田 東○○○ 直」と平成十七年九月一日に読んでいるのだが、岡村氏の記録(『ヘンロ道を辿る』小松勝記、平成十九年所収)では「海部郡浅川浦 伊せ田や□□ 東□□□」となっている。

 仏海庵参りの後、佐喜浜に立ち寄ってみると折れたままではあったが、台座を作って設置してあった。いわゆる文化財を大切に!というところか、信仰遺産を守る!ということか、すでに二百年を経た歴史の証言者として、こうした路傍の石塔が、大切に保存管理されているのは喜ばしいことである。


最近の様子

仏海庵


佐喜浜の四里石現状

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H17 四里石調査模様



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