徳右衛門丁石の話

 その26-2


 次の石は讃岐です。八十八番手前、寛政六年徳右衛門が初めに設置した丁石に関連したものなのです。その4で紹介しています。この石の刻字については現在では全面的に解読できているのですが、この読み方に疑念を持たれた方もいたようでした。最近の環境変化による風化損耗も少なからず見られることからして、調査時の確実さが求められています。その意味でも精度の高い写真や拓本による確認が必要とされます。

 ただ活字の記録だけではなくて、どうしても現物を見てその個性的味わいを感得しなければなりません。




 向かって左は「八十七番奥の院玉泉院」と称されるところにある石です。刻字は次の通りです。


明治弐十八年五月吉辰

(大師像)ひだり 長尾寺 肥前西松浦郡山谷村

施主 梅崎亀造、大屋清次良

周防国大島郡椋野村 施主 中務茂兵衛義教


 茂兵衛が施主となっているのもチョット気にかかりますが、この石と右側「大窪寺迄二里半 寛政六寅年  徳右衛門」とをよく眺めてください。材質形状ともに似通っています。全くとは言えないのですが、ホボ同一といえます。

 茂兵衛の巡拝度数がないのもおかしいと思いませんか?




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