徳右衛門丁石の話

 その25-3


 ここで臼井碑の刻字を読んで見ましょう。寛政十年の建碑ですが内容がずい分と興味深いものなのです。ありふれた弘法大師物語の一つですが、この時期片田舎の遍路道の端にこれほどの石碑は特別に目立ったことだったのです。それゆえに阿波の遍路さんが描いて残すことになったものです。


蓋(けだ)し物の運数は必ず俟(ま)つ有るか、予州桑村郡楠樹村臼井水は、里人伝えいう、貴物上人は八十八所霊場を開かんと欲して、土阿予讃の国を遍歴、道をこの地に取る。その年大旱で路頭の水は絶え、渇をえる無し。すなはち道の傍らに井をうがって八十八所行者および商人や旅行客にめぐらし給い、かつは余流をして田に灌がしめんと欲し、以って美しょうと為す。

これを考えて云う。野史に貴物上人と称するは空海なり。後にまた弘法大師という。弘仁(の年は)今をへだてること殆ど千年、既に耀きて忽照の明群有を周旋戯時の至りか、今ここに寛政丙辰の秋、臼井中に瑞色五彩をあらわしカジ(遠近)の衆生はみな来たりて拝観し愕然これを奇となす。

法雲真際以って因縁を募り、或いは霊験をこうぶる者老いを扶け幼きをたずさえ、熱を犯し霜を踏んで往来絡駅綿々と絶えず、これあに弘法神妙と謂わざるをえんや。ここに至り邑長芥(川)君運数俟つ有り。その妙今日に顕われるを感ずる有り。光曜を勒して昭らかにす。

これ井の側に碑を樹てるに余に請うてここに銘を為さんとす。余この挙の大遂を感でその請いを許してこれの銘を為す。その辞に曰く、



これこの臼井、よく清くよく泉し フン湧コンコン 日夜センセン

行客に周絡し、余流は田に灌ぐ 弘法)第四)さまが来られて幾千年

大徳有りといえども、思いがけない時に全からず、弘仁年にはじまり今年になって興る

瑞が井の底に見(あらわ)れ、五彩これ鮮やか、

水を掬して心を澡う、疾をいのってこれを癒す

奇妙に影が応じ、霊験天に均しく、群生因を募り、諸者相連なり

運数颯有り、真に赫然と輝く、功徳を石に金鐫り、永く大千に伝う


寛政戊午(十)年秋八月

淡海国膳藩、前大学 中川安世謹撰

男、文龍有斐謹書


 原文は漢字ばかりで多少読み下しに誤りがあるかも知れません。こんなものは今も二百年前にもまともに読める人は皆無に等しいのではないでしょうか?それを阿波の遍路さんは興味深く観賞して絵に残したのです。

 内容的にも問題が多々あるのですが、今回は膳藩前大学を名乗る中川安世が一体何者なのか?ということに注目して置きたいと思います。


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