徳右衛門丁石の話

 その23-3


 今一度、徳右衛門の町石について考えてみます。小山に寄せてある徳右衛門の町石は、

これより くわんじざいへ 三里

です。観自在寺二里打ち戻りの石は見つかっていません。そして次一本松町増田中組にあるのは「これより さヽ山へ 三り」。先に紹介した蕨岡家の隣、観音寺入り口に立っているのは「これより さヽ山へ 二里」。残念ながら「一里」は見つかっていないようです。これから篠山を越えて前回の馬の淵の徳右衛門町石「いなりへ六里」の前を通って、岩淵・満願寺→野井口「いなりへ五里」→祝の森→宇和島、→宇和島市和霊中町の道連橋「これより いなりへ 二り」→光満中町「いなりへ 一里二丁」となります。

 一方なだ道の方は、小山から西に進み、城辺町上大道「くわんじざいへ 壱里半」→豊田釈迦駄場「くわんじざいへ 一り」→〇四十番観自在寺→津島町上畑地小祝「これより いなりへ ・・・」→岩淵・満願寺、となるのですが、現在は野井坂経由の道筋より、岩松から松尾トンネルを抜けて宇和島側・祝森に出ます。篠山越え野井ルートでもなだ道柏坂ルートでもいづれ宇和島祝森に出ます。

 徳右衛門の場合篠山越えの道を通っていたようですが、中務茂兵衛の場合はどうやらなだ道(柏坂→上畑地→岩松→宇和島)が主要街道だったようです。篠山前後には標石が見当たりません。唯一「笹山前札所」の刻字があったように思います。しかし人跡まばらな所には道しるべの石が人知れず眠っていて往古の歴史を物語ってくれることがあります。

 そうした出会いを楽しみに今日も暮れ行く遍路道。右左右左ソワソワせずに、ヤレヤレ一服?



道連橋の徳右衛門の石



【笹山前札所】とある標石



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