徳右衛門丁石の話

 その10


 照蓮と徳右衛門の関係についてはなんら記録されたものはないようです。しかし前回提示した標石類によって自分なりに推測しているわけです。推測はヤヤもすると自己妄想の葛藤劇に終ることが多いようです。指摘というか、示唆というか、このぐらいにしておきましょう。とにかく一基一基の石を見て行くことによって導かれるものなのです。かって今治泰山寺(四国霊場五十六番札所)で発行していた『同行新聞』に徳右衛門丁石探索行・調査録を連載したことがありますが、一里ごとに立っている標石を見つけ出して行くのは楽しいものです。

 まず基本的には各寺院に次の札所までの丁石が立っています。五十六番の石は、幟旗様の立て石に転用されたもので、棹棒固定の為に上下二ヶ所に穴が穿(うが)ってあります。また後人の添刻した手印(指印)が見られます。刻まれたその指をよく眺めてみると、隠れた親指を数えて六本になります。稚拙な造形ということですが…。

 標石の側面にも手印が彫ってありますが、こちらはしっかりとした形になっています。この石には六霊(みな子供達)の戒名が彫り付けてあり、徳右衛門の子供達のものなのです。うち一霊「稚玉童子」については多少の疑念が残っています。というのは徳右衛門の菩提寺の過去帳には「智玉童子 安永元年十一月十七日 重治良子 金治」とあるからです。(『四国遍路のあゆみ』、平成十二年愛媛県、246頁参照)

 この過去帳には重治良に後年「徳右衛門」がエンピツで書き添えて有ると言うことです。その根拠は不明です。五十六番の標石の刻字から推測してのことと思われていますが果たして真実や如何に?朝倉・武田氏周辺の郷土研究の成果が期待されます。



泰山寺の石


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