徳右衛門丁石の話
善通寺紀要 第15号より



 六 町石設置の行動記録


 取り敢えず徳右衛門標石(町石)の実態についてこれまでの知見について述べてきたものである。ここで一応筆を休めるのであるが、徳右衛門の原簿記載の日誌を付録しておこう。
 寛政八年一七九六から文化九年一八一二まで、まさに四国中を東奔西走した記録である。詳細に検討すれば容易に分かることであるが、噂としては「年に三度の遍路をなした」と間違って言われたものである。
 ここでは日付け順に町村名や宿所人名などを整理してみたものである。

 武田徳右衛門の「四国中巡回記録」(仮称)から整理してみたものである。

一〔寛政八年 一七九六〕
二月廿ニ日
廿三日
廿四日
廿五日
廿六日
廿七日
廿八日
廿九日
卅日
三月朔日
二日
三日
大と村
半田村
三嶋町
三角寺奥院
小松尾寺村
讃州かつま村
金毘羅様
志う徳天王村
白み祢お寺
ふせ・村
志度町
大窪寺5五六丁先
 
新蔵
前谷佑治
仙龍寺
仙右衛門
重右衛門
出来屋
 
 
善七
泉屋久八
出口覚次郎





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