阿波柳水庵のこと 上
〜同行新聞 昭和61年12月1日 第301号〜


その3

 ○しるしの石
    
 引用文中「標石」あり、とありますが、この石は現存しています。延宝八年(一六八〇)ということですからずい分と古いものです。
 カット写真では一寸読みづらいと思います。正面梵字キリークの下に《柳水 為二親立之》とあります。これは柳水という「しるしの石」を立てたのは両親の菩提を弔う為だということです。

 真念さんの標石を思い出して下さい。ホトンドの標石に《為父母六親》という語が刻んでありました。これは施主がおヘンロさんの為に標石を建立して(同時に弘法大師への供養となっている)、その功徳を父母などの霊に回向して冥福を祈るのです。

 この柳水のしるし石は、「早渕屋弥市兵衛」という人が建てたものです。何の商売をしていた人か不明ですが、徳島新町に住んでられた方ではないでしょうか。というのも、「四国礼功徳記」の助縁者に、「阿州徳島新町」の「早渕屋次郎兵衛母祖慶 同妻」という人があるからです。
 この早渕屋次郎兵衛さんと、柳水の弥市兵衛さんは身内の方かも知れません。この両者の関係が親密なものであれば、ここ柳水のしるし石の設置に真念法師も関与していたことが充分想像されます。



上 その2 / 阿波柳水庵のこと トップ / 下 その1