四国辺地の霊場・月山
〜平成元年(1989年)・10月24日号より〜


 七、おわりに

 現在の月山(月山神社)は全くといっていい程、遍路者とは没交渉の存在になっている。しかし、江戸時代土佐藩の扱いは札所寺院並みの特別な扱いであった。まさに四国辺地中の辺地であるが故に、廃仏毀釈で著しく過去の姿が見失われ、また現代の遍路者たちからも忘れられた存在となっている。

 この忘れられた辺地の霊場について、歴史的資料を探れば、四国遍路現象を解く鍵を見つけることが出来るかも知れない。

 最近、月山の属する大月町内の家から辺路札を詰め込んだ俵が発見された。一つは明治・大正期に千人宿(大きな願いごとがあって、千人もの遍路者に宿などの無料接待――善根宿などをする)をした家であり、別の家で見つかったものには、幕末(弘化年間)に集中して多量(一万枚近く)の札があり、確かに月山を訪れていた遍路者がいたことを語ってくれる。


明治45年、北海道からの遍路者の札


 瀬戸大橋の架橋と共に大量の人々が四国路に入り込み、多数の情報が入り乱れているなかで、四国辺地の存在をもっと見つめることにより、何がしかの新しい視点が得られれば幸いである。



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