駄家通信 45
H26年2月16日



【へんろ札出顕(3)】

 どうでも引きずられて相手をせざるを得ないのであるが、番外霊場と言ってよいものかどうか、「三栗山 地蔵庵」の絵札があったのには驚いた。田舎の御札絵といえば、どうであろうか。22センチメートル×15センチメートルの大き目のサイズの札絵である。
 札所参りからいえば、この三栗山地蔵庵は逆参り(つまり新居浜からいえば東側宇摩郡土居町、現在は四国中央市)になる。じつは同じ東田村の昭和九年の納経帳に挟んであったのを見たことがある。その事の記事は「一冊の納経帳」と題して発表したことがあるのである。


 『新居濱史談』第260号(1997・4)であるが次回からここに紹介してみようと思う。現在の歩き遍路がどこまでこの道筋を通過しているものか分からない。宮崎氏のへんろ地図を持っていても、現在の国道を歩いている人が多すぎる。別にどこを通ろうとも、遍路さんが歩いたところがすなわちヘンロ道であるのだから、かまわないことであるが、この地蔵庵の近くには、中務茂兵衛が泊まった宿屋もあったし、善根宿(真鍋氏)もあったのだ。



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